こちらは管理人「ねぎのリーダー」のレース関連の写真です。
峠からサーキットへ転向しつつ、レースを始めた頃の初々しい時代ですが(笑
スキャンなのでかなり画質が荒いですし、時系列もおかしい上に記憶も曖昧なのであまり
見所はありませんが、いつも通り雰囲気だけでも味わって頂ければ、と思いますです。
…ちなみに解説等は主観オンリーなのでノークレームノーリターンで(汗
なお、非常にローカルなネタやバリマシ用語等がありますのでそのあたりはご了承下さいませ。
さて、いきなりですが自分のアップなんかをば(笑
撮影時期は不明ですが、装備もマシンもかなり綺麗なのでツナギ作ってすぐだと思われますね。
この頃はFNクラスという厳しいクラスを、情報も無いに等しい田舎のサーキットで戦っていくという意気込みは凄かった記憶がありますよ。
そもそもレーシングスクーターは地元カートランド四国にはほぼおらず、後述する耐久レースの「たかりん杯」でしか見た事がありませんでした(笑
80年代のミニバイクレース創世期にはノーマル&改造スクータークラスも開催されていた模様ですが、
私の世代ではそれを実際に目にする事は無く、ノーマルスクータークラスである「FNクラス」をレースの
主催者であったサーキットオーナーにお願いして設けて頂いた、といった感じで全てがチャレンジャーな
感じでやっていましたね。
そのせいか、FNクラス創立当初のレギュレーションでは「社外品リミッターカットCDIの装着不可」とか
「ホンダ・ビート等に見られる一定以上のハイパワー車の使用禁止」とか、今の時代では考えられない
レギュレーションが残っていたりしました(笑
もちろんこれらはサーキット側に物申し、すぐに現代的な(当時の)レギュレーションに変更したのは
言うまでもありませんが…こういう点ですらスタッフ等に知る人が居なかった、という状態であったと
言えばどれだけ田舎なのかが良く分かるかなとも。
なので、「困った時に聞ける人」なんて誰も居らず、世の中にウインドウズ95位はありましたがネットもほぼ
普及しておらず…私自身も当時高価だったPCは持っていなかったので、情報やテストは自分の財力と力、
そして仲間内だけが頼りでしたよ。
…今の時代から考えればこんな環境ならまずレースなんて初めようと思わないと思いますけれどね(爆
が、そのお勉強と経験こそが後年スクーターレースコーナーの品番表とかに生きているので、今思えば
このイバラの道も決して悪い道ではなかった、と思えます。
そしてこれはどこかに記しましたが、地元カートランド四国ではスクーターで攻めているなんてのは
当時かなりの異端であり、正直最初の頃はごく一部のMT車に無理な幅寄せをされたり、ちょっとした
揉め事になったりした事もあったりしまして…見た目が峠上がりのスタイルであったという事もあって
かなりナメられていたのは事実だったりしますね。
その上、私はこれが役に立つ、と信じてスピードメーターを残していたりもしたので余計にそう思われる
フシもあったりしますが、メーターに関しては今でも絶対に間違っていなかった、とは胸を張れますよ(笑
コチラは私の初代トランポ、DE51Vエブリィ・ジョイポップサウンドです。
当時は軽箱だと4ナンバーしかなかった時代ですが、その中でも出来る限り装備が良い物を選びました。
グレード名の通り、4スピーカー&ツイーター付きで内装は最上級、パワーウインドや集中ドアロック、リヤヒーター等、(当時としては)豪華装備が満載でしたね。
積載性を上げて格好も良くする為にシャコタンにしてますが、これが当時新興メーカーのZ○○Mというメーカーのサスでして…
1G沈下で前後フルバンプな上、バンプラバーをカットしてもそれだけ下がるというもうバネとしての意味が
無いノーサス状態でしたが他に選択の余地がほぼ無かったという(爆
正直、かなり乗り味は酷かったですがそれでもトランポとしての改装は加えており、色々な所に行きましたね。
が、この車は運悪く信号待ちの停車時に後ろから飲酒運転の大型トラックに突っ込まれてしまい、一発廃車に
なってしまいまして_| ̄|○
最悪な事にブルメタに塗装してエアロまでくっつけた直後だったのでもう目の前真っ暗でしたが、保険金やら
相手のほにゃららやらもあり、なんとかマルチルーフのエブリィターボを購入してすぐ色塗って全部パーツを
移植してほとんど同型の車を仕上げましたけれどね(笑
それがトランポコーナーに記しているアレですが…今はそこからさらに2台ほど乗り継いでます。
(エブリィ→エブリィ→ハイエースワゴン→タウンボックスといった感じですが)
しかしこの時には本当に死ぬかと思いまして…前が上り坂で引越し中っぽい荷物満載の軽トラが止まって
いたのでかなり車間を開けて停車して信号待ちしていたのですが、その後ろからトラックがかなりの勢いで
どかんと突っ込んできたので…私が車間を空けていなければ死んでいたかもしれなかったという。
幸運にも体は各部の捻挫とむち打ちだけですみましたが、このトラックの運転手が飲酒な上に車2台を
吹っ飛ばして逃げやがったのでかなり大事になったのも今ではもはや遠い記憶ですねえ…
ちなみに今でも夜間の停車時、後方から迫ってきてギリギリまでブレーキを踏まない様な車が居ると
ライトの光で心理的にどうも怖かったりするのがありまして…多分それはトラウマって奴かなと(以下略
と、話を元に戻しますが(汗
これはカートランド四国の最終コーナーですが、ツナギが古い上に何やってんだか、って感じですね(笑
おそらくですが、サーキットやレースで調子に乗ってきたので「俺ハ」的なフォームを作ればどんな感じなのか、と思って撮った写真かなと。
もちろんさして実用性のあるフォームではありませんが、なかなかの具合で自分では結構好きですね。
とはいっても実際には縁石からかなり離れていてラインを無駄にしていますし、頭がここまで低いとあまり
目線も良くならないので速くは走れませんが、このあたりはまだ「バリマシ脳」であった、という事で(汗
…今でもそうじゃねえか、というツッコミはスルーの方向でひとつ。
こちらは地元の伝統であった、「SBS高橋輪業杯」の耐久レースのひとコマですね。
この場所はHSR坂出という、ホンダの管理しているだだっ広いテストコース的な場所なのですが…(現在は閉鎖)
以前開催されていた観音寺自動車学校跡地が使えなくなったので、こちらに場所を移して数年間開催されていました。
耐久ですが、一応このシリーズが私の初レース、といった扱いになりますね〜
あ、写真のレースは高橋輪業杯、「たかりん杯」でもかなり後の方の開催なのでそこまで古くは無いですね。
記憶が確かならば1998年あたりでしょうか。
で、この頃はまだ峠から流れた連中がそれなりに居たので、2チーム体勢で挑んだりしてましたね。
クラスとしてはFNとM12のみなのでまったりしていますが、時間が3時間4時間は当たり前という結構な
長丁場な上、コースがタイヤレイアウトなのでしょっちゅうコースが変わるというサバイバルレースでした(汗
が、何度も参戦して一応は優勝経験もあったりしますので思い出深いですよ。
たかりん杯のスタートは定番のルマン式でして、予選タイムアタックにて速い順に前から並ぶ、というスタンダードな方式でした。
…松山のお雑煮耐久の様なスタート前イベントはありません(爆
で、この時は峠上がりの「猫RのM君」と私とみかんドラで1チームを組み、M君がなんと予選アタックで総合2位のタイムを叩き出しまして。
写真の通り2番手スタートという好位置に付けまして…ちなみにマシンは私のライブDioです。
そういえばこの頃は、このルマン式のスタートを少しでも有利にする為にセルを残してましたね。
なお、3番手に付けているゼッケン23番の赤いJOGですが、このチームの方々はたかりん杯では
スクータークラスの常勝チームで、いつか勝つぞ、と私らは意気込んでいたのでこの展開には
かなり昂ぶるものがあったのは事実ですね。
マシンも問題なく、ライダーの調子も良い、初夏で天候も快晴、その上サポートやヘルパーをしてくれる
仲間も呼んでいたので耐久レースとしては全く申し分ない状態でした。
スタート後、すぐにトップを奪取する猫RのM君ですが、後ろには赤いJOGが付いて離れません。
正直、この頃だとこのM君がジムカーナ的なテクニックでは仲間内で飛びぬけて上手かったので…
彼をスタートライダーに起用し、私とみかんドラはとにかく安定を旨としていく、といった戦法をあらかじめ決めていましたね。
結果、1回目のライダー交代まではトップを死守し、満を持して第2ライダーのみかんドラに交代出来ました。
だ が し か し …
…その第2ライダーのみかんドラ、安定の作戦だといったにも関わらず、ライダー交代してわずか数周で「帰ってこない」という酷い展開に_| ̄|○
1コーナー側からマシンを押して戻ってくるヤツに問い詰めると、「いや〜無理に前走者を刺そうとしたら気付かれなくてそのまま一緒に溝にダイブしたわ」との事。
さすがに私もM君もこの展開にはかなり戦意を喪失してしまい、当のみかん野郎はすでに着替えを始める始末で(泣
レースなので誰も責めたりはしませんが、それにしてもちと悔いが残る展開ですよ_| ̄|○
が、私はまだ決勝を1ミリも走ってないのにリタイヤなんてイヤだったので、マシンの状態を見るとなんとか
「走行」だけは可能なレベルに出来るかも、と考えたので日ごろ培ってきた整備テクをここぞとばかりに
発揮し、粉砕していたフロントマスク周りを全部取っ払い、ひん曲がったハンドルを無理矢理修正し、
くっつかないカウル類は投げ捨てた上に「突いて」いたステムはそのまま我慢して走る、といった感じで
やけくそになって走ってみると死ぬほど走りづらいですがなんとか走れる、という状態に復旧出来ましたよ。
ライトマスク廻りのカウルが無くてハンドルバーのみだとなんかおかしいですね(笑
で、この無理矢理修正したハンドルは結構鬼ハン気味になっており、ジムカーナターン的なコースには不向きこの上無いという地獄の仕様です(爆
その上、修復を終えた後でもチェッカーまではまだ3時間以上あるので余計に辛いですが、M君はともかくみかんドラもしぶしぶまたツナギを着込んで走る方向性になりましたね。
しかしまあこんなダメージでは走りづらい事この上なかったですが、ホイールが曲がってたりは
しなかったのでなんとかやれた、といった感じですよ…
結果的には一瞬の勝機が見えたスタート直後の印象ははるか遠く、ビリではなかったはずですがもう
どうでも良い結果だったのは覚えていたり_| ̄|○
それと余談ですが、この私のライブDio、この耐久のわずか2ヶ月前に「フレームを新品で購入して」
車体強度のリフレッシュを行った所だったんですよね(泣
実はこのクラッシュではフレームの「首」がわずかに曲がっており、新しいフレームがパーになった上
エンジン本体やホイールの類はなんとか無事だったものの、新品で買うと高価なクランクケースカバーや
マフラーまでほぼ全損といったダメージを喰らってしまっていたという。
もちろん当時はヤフオクなんて無く、中古品なんてのも現在ほど簡単に手に入る時代ではなかったので
ひとコケうん万円、という莫大なコストが掛かっていたのは言うまでも(略
…こういうのはレースなのでしょうがないですし、弁償しろとか言わないのが筋なのが当然ですが
それにしても私の運の悪さってのはこういう所でも十分に発揮されている、というのが素敵で(以下略
そしてコチラ、同日の耐久レースの写真ですが乗ってるマシンが違いますね。
これ、私は自分のチームの他に他のチームにもライダーとしてダブルエントリーしていたんですよ(爆
マシンはスーパーDioで、チーム員の持ち物ですがこちらもノーマルでタイヤとリヤサスだけ交換といったFN?ちっくなマシンです。
自分のチームのライブがぶっ飛んだ後も修復を行ってムリクソ乗り回し、さらにこちらのチームのDioも駆るといった、今考えると頭のおかしいスタンスでしたよ。
とはいえ、こちらも勝手知ったるAF28系車体、パワーは無いですがそれなりに振り回せるのは楽しかったですね。あ、ゆるいレースなのでフロントはGダッシュフォークです。
…ただし、ライブと交互に乗ってるとこういう低速コースでは話にならないパワー差があるのを実感したのは秘み(以下略
ここは上のライブでのワンショットと同じコーナーですが、正直スーパーDioだと前コーナー立ち上がりからの速度が全く乗ってないのでかなり楽です(汗
タイヤチョイスは確かリヤだけが90/90だったかと思いますが、正直3.00でも良かったレベルかなと。
ちなみにライブでもスーパーでも重心はかなり「下」にあるのですが、それでも比べて乗ってみるとライブのアンダーヘビーさは異常である、というのも良く分かったレースでしたね。
で、こちらのチームの成績としては、初心者の人と組んでいたのでもちろんクラスでビリだったかと。
その後、このマシンでは戦えない、という事を身にしみて分かったこのスーパーDioのオーナーは当然
ライブDioを購入した、というオチもあったりしますよ。
あ、上のライブDioに乗ってる写真とこのスーパーDioの写真は同一のコーナーですが、見比べても
ラインや曲げ方にはほとんど差が無いのもお分かりかと思います。
ここは180°ターンのコーナーですが、私がライディングのコツ等でたまーにのたまっている「目線」って
どうすれば良いのか、というのがこの写真だとかなり分かりやすいかなとも。
「先を見ないと曲がらない」のはバイクの基本中の基本なので、オーバーな位で丁度良いんですよね。
まだ半分も曲がりきっていないのに、すでに「頭」は出口を向いています、という事で。
なおたかりん杯の余談ですが…この後も数年間はたかりん杯は続くのですが、高知の「TEAM REXPOWER」の
方々も参戦する様になり、換わりに強敵だった赤JOGのチームが参戦されなくなり、またまた違った
スクータークラスの様相を呈するのですがそれはまた別のお話、という事で。
実質、私がこの耐久でクラス優勝出来たのはそのREXPOWER青木大将と組んだ時であった、と
いうのも思い出深いですし、土砂降りの雨の中を青木大将のGダッシュで勝った、というのも今思えば
かなり面白かった記憶ですねえ…
ちなみに青木大将と同チームの「REX POWER 弟子一号」さんはその雨の耐久を一人でノンストップで
4時間走りきっていた、というのも今思い出してみたり(笑
あ、もういっちょ記しておきますと、スタートの写真に写っている6番手位のゼッケン24番の黄色ライブの
方、2013年まで行われていたカートランド四国の「UWAの空杯」にて十数年ぶりに再開し、私の事も
覚えて頂けていた、というのもちょっと感動した余談だったりします。
さてちょっと場面を変えまして、こちらは今ではバイクの走行は出来なくなってしまった愛媛県の「瀬戸内海サーキット」です。
このサーキットをご存知の方であればお分かりかと思いますが、ここでFNクラスってのもちと無理があった気がしてなりません(汗
とはいえ、当時はそれでもある程度エントリーがあり、形だけではありますがFPクラスもあったという…
あ、写真の日付は当時の物ですが、ココと松山オートランドを転戦する「えひめミニロードレース」の一幕となります。
スターティンググリッドに並びつつあるスタート前の写真ですが、左前のオレンジのライブDioはどこぞの
某みかんドラですね。
最初はJOG-ZRでやってましたが奴のメンテ不足やら何やらでまともなコーナーリングが出来なくなり、
新車でライブDioを買ってきた、というか私の口車に乗って買ったというオチです。
もちろん各種実験台として有効活用するつもりだったのは言うまでもありませ(以下略
そしてその後ろの白いライブDioはREX POWER青木大将で、Gダッシュに乗られていたのに限界を感じ
ライブDioに乗り換えた、といったパターンですね。
その右の方も確か地元の方だったかと記憶していますが、この方も元はGダッシュ乗りだったかなと。
土地柄、というワケではなく他の地方ほどJOG一色では無かった、というのもこの時代の四国全域の
スクーターレーサーの風味としては特徴的かなと思ったり。
これはその日のレースの一幕ですが、一番スピードが落ちるコーナーでもこれだけ広いという(汗
ショートカットをコーナとして見立てるレイアウトだった為、縁石も無い上にカドにコーンがあってやりづらかったのは覚えてたり(笑
が、それなりに速度は出てるので右腕をかなり突っ張ってるのが写真からでも分かりますね〜
あ、そういえばこの頃はまだライト部分にレーシングライトマスクが無いみたいで…コケると一発粉砕です(笑
しかしこのサーキット、1〜2コーナーだと右に大きなコーナーなのですが、FNだとほぼ全開のままで
一瞬だけアクセルオフで向きを変えるだけ、というちょっぴり心理的に怖いライディングでしたよ(汗
私はカートランド四国育ちなのでそういう高速コーナーには慣れてましたが、これを苦手とする方も
おられましたし、FN車であるが故に速度を少しでも余計に落とすと致命的である、といった点もモロに
出てしまう面白いレイアウトでしたね。
こちらはまた別の日のレースになるかと思いますが、瀬戸内海サーキットでの「えひめミニロードレース」のFNクラスですね。
私の仲間内からも参戦する人が居まして、毎回数人で連れ立ってココのレースに行ってましたよ。
マシン的にはJOGとライブDioが半々くらいでしたが、私の仲間内の連中は皆ライブDioだったというのも面白いです(笑
とはいえ、この頃はマシン的にはさほどJOGとライブDioの差は無かったと記憶していますが…
確かこの頃はまだ、地元周辺ではまるち杯と同等のレギュレーションでは無かったので、駆動系の
純正品流用も認められておらず、ライブDio-ZXの初期型と中期型のパーツしか使えませんでした。
なので純正のWRを大量に買い込んだり中古を集めたりして重さを量り、重量誤差で選別してセッティングに
使い分けてたりしましたし、ジョルノクレアトルクカムとジョルノクレアセンタースプリングなんて組み合わせも
まだ発見しては居なかったので、ベルトなんて純正のGBLを何本も用意して長さや幅の誤差は当然と
しても、慣らしをしてこなれた中古の「しなり具合」まで選別して使い分けていましたね。
…こんな事はレースのFN解説にも記していませんが、今考えると想像を絶するレベルで各パーツの
選別や誤差判断を行っていた、という(汗
スクーター改造のコンテンツのどこかにUPしている純正センタースプリングの山なんてのもこの頃の
遺産だったりもしますよ(爆
ちなみにここだけの余談ですが、当時最新型だった中期型のライブDio-ZXのトルクカムは初期型に
比べて45°溝が短く90°溝が長いという小変更があったので、それを逆手に取ってこういった高速の
コースでは中期型のトルクカムを使っていた、というのは秘密です(笑
これはレース中ですが、ゼッケン1番の白いJOGが当時愛媛のトップライダーであったI岡選手ですね。
スクーターもミッション車も何でも乗られるというマルチライダーで、当然スクーターでも速かったです(汗
その後ろ、ゼッケン2番の黒いライブDioは当時の私のライバル、REXPOWER弟子一号さんですね。
…私は写ってませんけどこの後方にいる事は間違いないかな、とも(笑
ちなみにこのお二方は徳島カートランドでもあいまみえる事もありましたが、私はI岡選手の前を走った
事は一度だけあったか無かったか、という状態でしたが_| ̄|○
この当時だとこの方よりもこのあたりのFNで上だったのはREXPOWER青木大将だけ、でしたね…
そして3番目の方は…記憶が掘り起こせないのでスルーで失礼します(汗
これは上の写真とはまた別の日のレースっぽいですが…コッチは右端にたかりん杯常勝の赤JOGの方が走ってますね。
この方も耐久だけではなく愛媛のスプリントでもちょこちょこお見かけしてましたが、純粋なスプリントでは結局一度も勝てなかったです(泣
で、いつも狭いコースの耐久でしかあいまみえる事の無かったこのJOGの方ですが、瀬戸内海サーキットの高速コースで一緒に走ってみると…
なんとマシンはさほど速くないどころか、私のライブDioの方が勝っているという衝撃の事実に直面しました(泣
低速タイトターンの連続するたかりん杯レイアウトの場合だと、純粋なテクニックのみであれだけの
速さを持っていた、というのが改めて分かったのでちょっとショックだったのを覚えていますよ。
オチとしては後に伺ったのですが、このJOGって普段はナンバーと保安部品をつけて街乗りにも
使っているマシンだった、という事なのでそりゃあ劣化もそれなりにはあるわな、という(爆
同じコーナーばかりですみませんが、このコースだとまともに写真撮影が出来るのがここだけなのかも、という(汗
こちらはREXPOWER弟子一号さんと私のバトルですが、どこ行ってもこんなもんだったのは良く覚えてます。
この写真だと私のコーナーリングに気合が足らない様に見えますが、マシン的には私の方が勝っていたので…
立ち上がり重視で次のコーナーの入り口で並ぶ、といった戦法を取っているハズです。
このレースの時も最終ラップの最終コーナーでそれを狙ってクロスを仕掛け、ストレートでさくっと
並ぼうとしたのですがそれを読まれておりブロックされ、本当に10センチも無い僅差で負けたというのも
これを書きながら思い出してきた気がしますよ(泣
で、そのREXPOWER弟子一号氏、元々はFN用途として徳島カートランド用にGダッシュとJOGを
乗られていましたが、メインなのはFSの改造スクーターでした。
FSマシンは確かマルゼンフレーム+BSC製Gダッシュエンジンの車輌と、キタコフレーム縦型JOGの
2台体勢だったかなと。
FNではご自身の思い切りの良いライディングにはライブDioが向いてそう、という事でライブDioにも
乗り始められました。
…この方、その後数年はFNの面白さにどっぷりで私も色々な所でバトルさせて頂きましたよ(笑
当時のREXPOWER弟子一号氏いわく、「FSで徳島カートランドのレースにフル参戦していた時よりも
今のFNクラスマシンの維持の方がはるかにお金が掛かってるわ」という事でしたが、当時はその位にまで
パーツ交換頻度やら誤差のあれこれやらが激しかった、という事を如実に表しているかなとも(汗
ただし、この方はそのスタイルがゆえに転倒による破壊も多かった、というのもあったりしまして。
一度、カートランド四国のレースの前日に地元高知県からうどん王国まで練習に来られてまして、
運悪く転倒してしまいステムか何かを破損し、私もたまたま家に代替パーツをストックしてなかったので
その足で高知県までパーツを取りに帰り、そのままとんぼ帰りで戻ってきて私の家で修復を行い、
次の日のレースに挑んだ、といった事もあり、かなりソウルフルな方でしたよ。
…ちなみにその折、何故か私も高知県まで同道したという(笑
これは6つ上の写真のレースの表彰式だと思いますが、優勝してるのはREXPOWER青木大将です。
この方もGダッシュからの乗換え組ですが、元々手が付けられない位に速い上にライブDioの良い部分を遺憾なく発揮されており、四国内では当時敵なしといった具合でしたね〜
俗に言う「ぶっちぎり」ってヤツです(汗
ちなみに青木大将も元はメインがFSというご出身の方で、実は地元のSHOP系ワークスライダーの経験もあったという。
しかしその青木大将、当時の私が絡めたのは青木大将がGダッシュ&硬化しまくりのレインタイヤという
組み合わせで走ったカートランド四国の土砂降りのレース位でして、抜きつ抜かれつでしたが僅差で
敗北しました(泣
もちろん、その経験を元にし、パワー的にGダッシュではもう駄目だ、となってライブDioを購入されたのは
言うまでもありませんが_| ̄|○
…しかしこの方の写真って何故かほとんど無いのが不思議ですが(汗
で、この表彰式では上記のごとく、REXPOWER弟子一号さんが2位で私が3位だったのですが…
とりあえず青木大将と2人して、2位の弟子一号氏にシャンパンをぶっかけるという暗黙の了解が
あったのですが早々と逃げられてしまった、という(爆
…私はブロックされて負けてるのでおもいっきり頭からぶっかけようかと思ったのですが残念で(以下略
こちらは珍しい写真なので紹介してみますが、このライダーはかつてまるち杯関西のSP12クラスを席巻した方ですね。
徳島カートランドをホームコースとするA沢選手ですが、かなり昔のイデタチなので近年と全く雰囲気が異なっていたり…
この頃はまだまるち杯等には参戦されていなかった模様ですが、当然のごとく速さは一級品でして。
カートランド四国のシリーズ戦にも来られてましたが、この方が負けるってのは私の記憶には無いというレベルなので(汗
後には徳島カートランドの方々とまるち杯のM12&SP12にも参戦されかなりの好成績を収められて
いますし、まるち杯全国大会でも優勝されていますね。
と、余談ですがこの徳島カートランドの方々がいつぞやのまるち杯に参戦された時、マシンがかなり
速いという物言いが入り、再車検になったのですが別にインチキ等は見当たらなかった、という小話も
あったりします。
…レースやってればそれで当然なのですが、マシンもライダーもそれ位ハイレベルであった、と
言うのが昔の徳島カートランドの方々だと私は思ってますよ。あ、もちろん今でもハイレベルですが。
ついでにさらなる余談で、SS1/32mileやFN等で私の僚友でもある、地元のはぶしょうN氏なのですが
この方はこの時代にはM12&SP12に乗られており、関西まるち杯やら何やらへの遠征をかなり積極的に
「単独で」行われていた上、ビギナークラスとはいえまるち杯優勝経験もあったりします。
中部や関東までも出向かれてまして、トランポの中には電気釜までがある状態でしたよ(笑
ある意味でははぶしょうN氏が四国ライダーのまるち杯参戦への火付け役になった、といった風潮も
あるのですが、私も初めてのまるち杯にははぶしょうN氏に連れて行って貰いましたんで、ね〜
なお、氏はその後スクーターにハマって今に至る、というのは言うまでもありません(笑
さてさて、こちらはまた場面を変えまして、愛媛県にある「松山オートランド」の耐久レースのスタートです。
ここは今でも年に一度、お正月の「お雑煮耐久」を開催されており、滅茶苦茶テクニカルなコースで面白いので今でも走ってますね。
ストレートが短く、マシン差があまり出ない上にハンデも付くのでかなり「勝負」にもなるので私は好きですよ。
…しかしこの写真、スクーターがうじゃうじゃいますね(汗
これは確か、スクータークラスのみでの耐久だったかと記憶していますが、私が最前列に居るのは
単純にスターティンググリッドが早い者勝ちだったから、です(笑
ここまで数が多かったのはさすがにここのレースでも他に記憶がありませんが、テクニカルコースなのに
スプリントよりも耐久を好まれる方が多かったのかな、と今では思ってたりしますね。
そういえばこの写真、はるか以前にHPのTOP画像にした記憶もあったり…
こちらは駐車場のある丘の上から松山オートランドのコースを見た所ですね。
ここを見ればお分かりかと思いますが、かなりえぐいレイアウトになってまして、コース外に草が生えてると先は見えないというデンジャラスさもあります(笑
そういえば昔、ココのレースで酷い濃霧に襲われたのですが前も後ろも見えないという状態でかなり怖かったという思い出も(汗
ちなみに一周がFNマシンで33〜35秒くらいだったりします。
が、それだけコースが短くストレートもメーター読み60km/h程度しか出ないのにもかかわらず、
コースの高低差が前半と後半で数メーターあるので、たまーにコースアウトしてる人とかタイヤバリアに
刺さっている人とかも居ますし、最終コーナーはすりばち状で上っており先が全く見えず、アウト側が
すぐにピットの入り口になっている為、最終コーナーのアウト側のタイヤバリアに触れるとピット側へ
向かってマシンが飛んでくるというイベントもたまに発生してますね。
これも松山オートランドの一幕ですが、一番前の方はすでにスリップダウンに入ってます(汗
ココのコースは雨が降っても問題なくヒザが擦れるレベルの超ハイグリップ路面なのですが、だからといって転倒が無いワケではありません。
耐久レースでコース上の台数が多いとこういう転倒はそこかしこで見られますし、コーナー抜けたらライダーとマシンが転がってるなんてのも珍しく無かったり。
全盛期だとこの狭いコースで30台以上が同時に走行してましたしね(汗
コレはかなり珍しい、と言いますか私もこんな写真あったのか、とびっくりした一枚ですね(笑
松山オートランド最終コーナーですが、NSR50に乗ってますよコレ。
確か…上の写真のスクータークラス耐久をノンストップで走りきった上で、他の方が持って来ていたM12での「耐久」にも連続エントリーしたんですよ。
スクータークラスで90分、M12クラスで3時間だったかと記憶していますがこのテクニカルコースではホントに死ぬかと思いました(汗
ちなみにこのNSR50の持ち主の方も私と一緒で、自分のスクーターで90分耐久を走破しているので
お互いぺースアップどころの騒ぎではなく、私の写真からもかなり手を抜いてるのが見て取れますね(笑
そういえばこの頃、はぶしょうN氏と組んでカートランド四国のM12の耐久も走った記憶が今蘇ってきたり
しましたが、体重&ウデの差を鑑みてスプロケをどこで妥協するか、にかなり苦労した記憶もあったり。
しっかし私、12インチMT車ってもう何年位攻めてないのかな、とふと思いますねえ〜
今乗っても上手く乗れる気がしませんよホントに(笑
これは同じく松山オートランドでのREXPOWER青木大将とのバトルですね。
この時はGダッシュに乗られてますが、すでにこの時点でもかなわなかったというのは秘密ですが_| ̄|○
マシン差が出にくいとはいえ、この方はこういったテクニカルコースに無茶苦茶強く、ライブDioに乗り換えられた後ではここのコースのFNのコースレコードを持ってたりします。
タイムは33秒4あたりだったはずですが、他の方だと地元トップライダーでも34秒台だったので頭一つ飛びぬけていましたね〜
…ちなみに私はそれよりもコンマ8くらい遅いので精一杯でしたが、近年ココ走ると34秒台ですら怪しいので
昔の私すげえ、って思ったり思わなかったり(爆
後、私の宿命のライバルであったREXPOWER弟子一号氏ですが、この方もココのコースが性に合って
いたのか、青木大将に迫るラップタイムを叩かれていましたね。
ここだけは、ホントここのコースだけは転倒でぶっ飛んでくれない限りはREXPOWER弟子一号さんには
まず勝てなかったなあ、というのも良い思い出ですよ。
んが、それでも一応は私もここのFNクラススプリントで優勝経験はあったりします。
前述の瀬戸内海サーキットでも一度だけ勝った事はありますし、このあたりは勝負は時の運、と
いう場合もあるってのは長年やってれば何度かは遭遇していたりしますしね〜
だからレースは面白いんですよ(笑
コッチはまた日を改めてのスプリントのスタート前写真だと思われます。
面白いのが、写真に写っている範囲ではこの6台全てがFNのライブDio、という点ですね。
この松山オートランドはFN仕様ではJOGにはほとんどメリットが無いのでライブが流行るのも分かりますが…
このワンショットだけ見るとある意味ではかなりおかしな事にはなっている可能性はあったりしますよ(笑
ちなみにこの写真でも何故か私がポールポジションに見えますが、これは前述の通り予選の前の
スターティンググリッドは先着順だったから、ですね(爆
いつもREXPOWER弟子一号氏と先を争い、ミーティングが終わった瞬間にピットに駆け戻って
どれだけ速く「前の方」を取れるかも争ってましたよ。
さて、ここで場面は我が地元のカートランド四国になりますが。
色々ご紹介してきましたが、私地元での写真ってほとんど無いんですよね_| ̄|○
それなりに真面目にFNをやり始めてからは、正直写真を撮ってる余裕なんて無かった位ですし。
そんな時間があるなら休憩に当てたり精神統一したりしてましたんで、かなりストイックでした。
…初期の頃はレース当日は反応速度が落ちるのを嫌い、糖分ですら全く取らなかったりしてましたよ。
で、そんな地元のシリーズ戦において、関西から遠征のライダーが来られたんですよね。
何故こんな田舎に?と思いましたが色々な所に行かれている方でして、地元兵庫からなら結構
アクセスが良いので来てみた、という方でした。
「B.M.F ナイトライダー」氏という方なのですが、この方はこちらのレースの雰囲気等を気に入って
頂けたみたいで、その後も数年間にわたり可能な限りコチラのレースに参戦して下さったという。
もちろん関西圏の方なのでまるち杯参戦や入賞経験もあり、あまり「外」を知らなかった当時の私には
「本場」のライダーとしてかなり新鮮に写ったという…
で、この方とも私は何故か実力伯仲でして、REXPOWER弟子一号氏も含めて三人で絡む事がかなり
多かったですね〜
そして、この頃にはFNのレギュレーションがまるち杯準拠となり、駆動系の流用等も行える様に
なったのですが、ここにきて初めてこのナイトライダー氏の持つ「本場の情報」といったモノも知る事が出来、
いかに自分が田舎者であったか、というのも骨身に染みたという(泣
とはいえ、ナイトライダー氏もライブDioを駆られていましたが私とマシン差は無かった、という事実も
ありましたんで、そっちはちょっとだけ自信も付いた、というのは誰にも言ってない秘密で(以下略
そして後年、関西圏のお仲間やらお知り合いの方々もたくさん連れてきて頂き、一時は地元スプリントの
FNクラスはエキスパートとビギナーの2クラスあった、という盛況ぶりでした。
…私はなんとかエキスパートで走れる実力でしたが、「上」の方は関西圏のトップレベルライダーと
四国勢最速であるREXPOWER青木大将のバトルで、1周1秒くらい離されるのでとても付いていける
レベルではありませんでしたけれどね_| ̄|○
そうそう、遠征ライダーといえば地元スプリントの最初期の頃には、岡山のミニバイクSHOPである
「Joke joy」の息子さんがFNに来られたりし、当時中学生だった彼の走りにはかなりびびった事も
あったりしますよ(汗
なお、もういっちょついでに記しますと…
この頃、前述の様にに私は地元スプリントに対してはかなりストイックな姿勢で挑んでおり、何か
不調等があると必要以上に悩んでシビアに考えていたんですよね。
そんな中、ナイトライダー氏のお友達であるエキスパートライダー、「No name」のS君、という方に
言われた一言、「悩んでいるのは分かるけど、そんな小難しい顔ばかりしてたらレース自体が楽しく
無いでしょう」といった言葉があり、この一言で本気で目からウロコが落ちたんですよね。
楽しまなければ意味が無い、とまでは言いませんし、危険なスポーツなのですから真面目に
取り組むのがダメではありませんが、それにしても当時の私の雰囲気は傍目から見てもそんな
感じに見えていた、というのは正直かなりのカルチャーショックでしたんで…
私、今でもこの一言は深く感謝してますし、それから以後はリラックスすべき所はリラックスして
取り組むようになった、という事です。
…誤解が無い様に記しておきますけど、私ってハナからおちゃらけ風味でやってるんじゃあなくて
こういうのもあったからこそ取り組むべきスタンスが今のそれに落ち着いている、というのは改めて
記させて頂きますです。
ちなみに、そのS君って去年まで鈴鹿8耐走ってた凄いライダーだったりしますよ(汗
こちらはおそらく関西圏のクローズドなジムカーナスポットですね。
レースではありませんが、走り屋イベント的なモノにも参加してたので、こういうワンショットもあったり。
とはいってもこの写真では雰囲気が全然分かりませんが、人里離れた場所で完全クローズドなので、練習等にはもってこいだなあ、といった感じで羨ましかったですよ(泣
…ちなみにこの時が大規模な走り屋系イベントに参加したのは最後だったかな、と記憶してます。
とはいっても、この頃の私はまだまだタイトターンは苦手だったのであまり上手くは走れませんでしたが
それでもレースを始めた頃に行った某河川敷の交流会で晒した失態よりははるかに上手く走れたので、
サーキットも無駄では無かったな、と実感した日でもありましたね。
この頃だとバリマシ世代の方々がレースに流れていった時代の全盛期とも言える時代だったので、
ある意味では走り屋とサーキット、レーサーの垣根が低かった時代なのかな、とも思ったり。
そしてコチラは、私の初めての大舞台である2001年まるち杯、猪名川全国大会です。
それまでは遠い所での開催であったまるち杯全国大会が、なんとかエントリー出来る兵庫県の猪名川サーキットにて行われた1回目の大会ですね。
このレースには地元周辺で培ってきた自分の実力がどれ程通用するのかを試したくなり、REXPOWER弟子一号氏とはぶしょうN氏の3人でエントリーを行いました。
と言うか日程や金銭の都合が付くのがその3人だけだった、という(以下略
で、どこかに記していますがこの時にはそれなりの本気で取り組み、レースの前の週には猪名川まで
一日練習走行に行き、ウデはともかくマシン的には劣っていない、というのを確信したという事も含め
色々な所に対して万全の準備で挑みましたよ。
この時の模様は動画館にも一部掲載していますが、予選落ち組とはいえ周りと比べてもさほど遜色は無い
走りが出来たのはかなり嬉しかったです。
言うまでもありませんが、かすりもしないとか話にならないレベルの差ならば「絡む」事すら不可能なので(汗
…なおこの全国大会に挑む数年前には初のまるち杯関西、旧々名阪ABコースでのFN-Bにも参戦してみては
いたのですが、ラップ遅れにならないだけマシでかすりもしなかった、という手痛い洗礼を受けた事も
あったので、それからの努力が実になった事にはかなりの幸福感を得たのは事実ですね。
ちなみに余談ですが、そのまるち杯関西の初参戦の折にはREXPOWER青木大将もエントリーされて
いたのですが、一度も名阪を走ったことが無かったのにも関わらず、初走行の初出場でなんと
FN-Bとはいえ優勝された、という事もあったり(汗
これにはコチラの連中は皆びっくりでして、さすがに辛勝ではありましたがぶっつけ本番でいきなりの
優勝、ともなれば…「頑張ればいける、戦える」といった印象を与えて頂いたのは間違いありませんね。
…私は名阪を走った経験があるにも関わらずヘボだった、というのは(以下略
で、写真に話を戻すと、これは予選時の写真ですが前を走っているのがREXPOWER弟子一号氏でして、
引っ張ってもらってラップタイムを上げようという作戦でしたがどうやらココの高速コースレイアウトだと
あまり得意では無さそうだったので私がやきもきしている状態かなと(汗
そして後ろに写っている黒いライダー、これは後年ご本人のライブDioのFNマシン開発において協力を
させて頂く事になる名門「大西塾」の安田教官ですね。
この時は後ろから速いライダーが来てるのは分かってたのですが、まあコーナー3つくらい後に
パスされるだろう、と思い込んでいたにも関わらず、2つ次のコーナーで思っても居ないタイミングで
インに飛び込まれまして…エキスパートどころかトップライダーとの実力の差、という物をおもくそ肌で
体感した良い経験だったりもしました、というのは今でもはっきり覚えてますね。
…あまりに予想外だったので思わずすみませ〜んと叫んだのは秘密で(以下略
さてさて、最後になりますがコチラは当HPの初代TOP画像にもしていた、猪名川全国大会にて撮られていたワンショットですね。
もうちょっとコーナーリングの「深い」ところであればベストショットでしたが、これでも十分カッコ良いのでお気に入りです(笑
ココは真ん中あたりのシケインの出口かな、と思いますがフロントの接地感が無くなるポイントなので必死でフロント押さえてたり。
そしてまるち杯ならではのフロントゼッケン付属のラップセンサーがそれっぽくて良いですね〜
この時は事前練習や準備も抜かりが無く、人間もかなり乗れていたので結果うんぬんではなく初の
全国大会としてはかなり「楽しい」レースになりましたよ。
コースレイアウト的にも高速サーキット育ちの私にはかなり向いてましたし、面白いとも思えたので
その後も3回に渡って猪名川全国大会に参戦する事になります。
あ、合間で猪名川のまるち杯にも何度か参戦してたりもしていましたね。
何にせよ、少なくとも全国大会でまともに走れた、という結果は当時の私にもかなり嬉しく、一度は
まるち杯に出場してぼっこぼこになって凹む、という地方ライダーならではの洗礼を受けてから
数年、なんとか形にはなってきたという嬉しさもかなりの物がありました。
いやはや、こればっかりはやってみないとまず分からないハードルなので良き経験になった、と
いう事で一区切り、とさせて頂きたく思いますです。
さてさて、写真を探してスキャンするのにかなりの手間を食った上、ロクな写真が残っていない事に
気付きながらもなんとかコンテンツとして形になりましたが、いかがでしたでしょうか(汗
この後は数年してHPを立ち上げ、SS1/32mileにも積極的に参加したりしていくのですがそれは
当HPにてご紹介している通りですね。
今回は写真館のレース編その1、と記しましたがこの後は写真すらほとんど無く、おそらくその2は
無い可能性が高いですが、その2はこのHPそのものである、と言っても良いのでそのあたりは
ご容赦頂きたく思いますです。
地元関連の写真やらがほとんど無いのは私も改めてびっくりですが、雑誌掲載分等も探せば
どこかにあるかもしれないので、そういったモノも含めてなんとかしてみたいな、とも(汗
本来なら徳島カートランドや淡路カートランドでのレースの記録があってもおかしくないのですが…
なお、このコンテンツはあくまで、HP開設時期以降の私の活動しかご存じない方への改めての
私の軌跡…と言うまでもないあれこれです、という意味も含めるという事でよろしくです(笑